「木を見る西洋人 森を見る東洋人 −思考の違いはいかにして生まれるか」

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

木を見る西洋人 森を見る東洋人思考の違いはいかにして生まれるか

読み終わっていたけれど、読後の感想を書き忘れていたことを発見!

いつかどこかでも書いたけど。思考の違いって、あるよね。ラベルを貼りたがるのって、欧米化の一部だったんだね。だから、正しいか、正しくないか、それだけが重要みたいになってしまう。真ん中がない。中間がない。グレーゾーンがない。白か黒か。生きるか死ぬか。自分が中心で、それ以外はゲスト。個人主義で、成果主義で、協調性がなくて、格差社会。広く東洋人的な考え方の経営者は、必要以上に儲け過ぎたりしない。かくして、実のない西洋的な考えがはびこる現在の日本では、救いようのない格差社会について、おかしな議論ばかりが展開する世の中になったりする。それぞれの思想の良いとこ取りをするべきだと思う。
「木を見て森を見ず」っていうのは、古来から伝わる格言だけれども。そういう大局からものを見て考えることの出来る人が、いなさ過ぎ。政治家にも、評論家にも、いわゆる学識経験者と呼ばれる人たちにも。そして、資本主義に君臨する経営者サイドにも。
しかしながら、未来を担うと言われるベンチャー企業では、起業から3〜5年で事業売却するのがステータスだっていうのだから面白い。最初からそれしかもたないと見て、絶頂期に売り払う、その潔さ。基本的に事業と言うのは継続させることが一番大変なのだから、当たり前か。事業を立ち上げる方が大変だという人もいるかもしれないが、自分が信じて楽しんでいる分、私は得だと思う。自分で考えて作ったわけではない物を、引き継いで、持続させることの方が、余程大変だ!本当は、それすらも楽しめなければ、精神がもたないと思うけど。
こういうとき、自分の役割って何なのだろうなって、よく考えます。ただ、私は礎で終わりたくないと思っているので、基準は、そこ。人に使われる、物に使われるだけの、そんな人生を私は望んでいない。だから、自分で大局を見て、考えて考えて考え抜くしかない。それが生きているって、生きるって事なんじゃないかな。